松井奏くんが青春だから

松井奏くん中心にジャニーズについて気ままに綴ります。初期のブログは藤井直樹くんについてもまあまあ書いています。

ジャニヲタになり切れない自分について考えていたら後悔のない死に際を知りたくなった

結局わたしは奏くんにはハマれなかった。SHOCKで見た奏くんは確かに輝いていて、ときめかせてくれた。奏くんの声、姿形、愛くるしいお顔、特別不器用とも器用とも言えないけれど、多分努力をしようと思えばできるタイプの人なところ、そして何より踊り、動きが大好き。ステフォは買ったし、これまでIMPACTorsとして出しているジャニショの写真も奏くんのソロは大体買った。少クラも全部見ているし、アイスも買ってクリアファイル全種類集めた。でも熱を持って応援することはできていない。島TVもあんまり見ていない。他のJr.の写真も買ったり、あるジャニーズのグループに一時的にハマって動画を見て漁る時期もあったけれど、わたしは多分もうしばらくの間は男の子のアイドルに熱中できないだろう。

 

ただ、女の子のアイドルにはめちゃくちゃお金を使っている。お金を使うことが好きで、お金を使うという行為によって満たされている部分があるせいもあるだろう。本当はこの行き過ぎた資本主義社会にある程度抵抗したいのだけれども*1。そのことに最近困っている。服なりアクセサリーなり何なり諸々にお金を使いすぎている。将来を考えれば貯金をするべきだが、そんな貨幣の価値を絶対と思いたくないし、貯金したところで本当にそんなに長く生きるか分からないのでもっと使ってしまいたいとも思う、困った。

わたしは刹那主義的な部分を上手く現代社会に適応させて生きていると思う。

明日死ぬかもしれないから、後悔のないように生きたい。ただ、それは好きなように遊ぶとか、好きなようにお金を使うとかそういうことではない。もし「1週間後にあなたは死にます」などと宣告されて遊び呆けたのに実はあと10年も人生が続いていたなんてことがあったら大変だ。いつ死んでもいいように、またいつまで生き延びてもいいように生きていたい。最後まで自分なり一生懸命生きれば死ぬ瞬間には後悔しないと思う。たとえやり残したことがあっても、それはちょっと悔しいと思うけれども、それでもその瞬間まで一生懸命に生きたのだから後悔のしようがない。自分を誇らしく思うだろう。だから最後まである程度勉強も頑張るし、アルバイトも、オタ活も、友達との付き合いもやる。無駄な時間というのは無駄じゃないと思うし休息ほど大事なものはないとも思っているけれども、体と心はもうちょっと頑張れそうなのに怠惰を持て余していて、はい死にますとなったらさすがに後悔するだろうからそれは嫌だ。

だけれども、あんまり自分の美学を貫いて、たとえば自分が死にそうに、倒れそうになったとき、そこで無理して頑張ってしまってそのせいで助かるはずの自分の命が絶たれてしまっては元も子もない。ちゃんと休めばもう少し何かできたかもしれない。だからこそ、刹那主義的な自分と、頑張らないといけないと思っている自分を両立させるというのは大変難しい。

などと考えていたら、Endless SHOCKのコウイチを思い出した。彼はショーを止める勇気を持っていれば、死ななかったし、仲間との関係もちゃんと修復できる可能性を持っていたし、もっとショーができたかもしれない、テラニシだって苦しまずに済んだ。個人的に、彼のSHOW MUST GO ONの遂行の仕方は間違っていたと思う。あんな死に方はコウイチがかっこいいだけ、気持ちいいだけで、カンパニーのためにもならないし、あんなのを見せられた客はたまったもんじゃない。舞台上で起こっていることがフィクションだという制度的な保障があるから安心して客は決闘シーンを見られるのであって、それがリアルではなくアクチュアルだったと知れば、今後芝居を見るのが怖くなるだろう。コウイチも、ライバルと上手くいかないこと、座長として走り続けるプレッシャーなんかを感じていて、そこから逃げたかったんじゃないか、逃げるために刺されて死んでもいいやと思ったんじゃないかとも思う。

 

頭の良い人はあんな死に方はしないと思う。だけどいざとなった時、自分もコウイチと同じ選択をしてしまうだろう。その後のことなど死んでしまえば何もわからないし感じないのだから、自分なりの美学を貫いたと思って死にたい。でもそれじゃカッコ悪いので、ちゃんと考えないといけないと思う。

 

*1:別に社会主義とか共産主義がいいと言っているわけではないしどちらかと言えば因果応報的なシステムの方がわたしは得をする生き方であるが、何事にも限度はある